無意識に「ジャッジ」してませんか、誰かを「裁いて」ませんか

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無意識に「ジャッジ」してませんか、誰かを「裁いて」ませんか

自分の中の「ジャッジする習慣」について、最近、気になったので書いてみました。

・人の目が気になって、つい言ってしまう、子どもへの「ひと言」

・なぜジャッジするの

・「劣等感」や「自責の念」は一人芝居。いい事はひとつもない

・ジャッジなし、寛容でいれたら、自分のこころも温かい

人の目が気になって、つい言ってしまう、子どもへの「ひと言」

「他の人に迷惑が掛からないようにしなさい」

「しつけができていないと思われないように」とか、「聞き分けのない子と思われそう」という自分のへの守りの言葉なんですね。

「いい子でね」

まわりに対して、「いい子」でいると「都合のいい子」になってしまう傾向があります。私的には、どちらかといえば、「たくましくね」と言ってあげるのもありかな?と思うところです。

なぜジャッジするの

自分もそうされて育ってきたから、善悪のしつけが必要だから、自分が正義だと思っているから、そして自分の責任では無いと思っているから「ジャッジ」出来るんですね。

変な思考習慣だと思いますね。たった一人でジャッジしても、それは「独りよがり・独断と偏見」というもの。だって弁護人がいないですから。

「劣等感」や「自責の念」は一人芝居。いい事はひとつもない

一般的な世間の評価は、気になりますが「さようなら」しましょう。もっと自由でいいです。気にしなくていいと思います。日本人は「劣等感や自責の念」を抱きやすい生育環境にあるらしいのですが、わたしは、「劣等感」は無用の長物だと思うんですね。なぜなら、「劣等感」や「自責の念」は自分が自分をどう思うかという感覚だけなので、「独り芝居」に似ています。

勝手な思い込みで、独りで盛り下がりして、独りで落ち込んでいる状態ですね。誰も幸せじゃないのに気づかないんです。

そんなことより、周りに対して、「気使い」や「応援」など、やさしい対応ができれば、空気がやわらかくなりますね。

ジャッジなし、寛容でいれたら、自分のこころも温かい

ジャッジって、結構、親や誰かに言われたことを、繰り返して言ってたりするんですね。なかなか気づきませんけど。

そこで、嫌なひとことを言ってしまったら「ちょっと、まてよ」と振り返ってみる。次は言わないでおこう。言わないとどうなるのかな?と問いかけていると、少しづつ、寛容になってきて、余計な小言が減ってくるんですね。

そんなことを繰り返していると、ある日ふと、ジャッジという習慣が遠ざかったせいか、心が軽くなり、温かく見守りたくなることがありました。不思議です。

物事はあるがまま。「ジャッジしない」のが、いいんじゃないかな。と思う、この頃です。

青空

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