自分の中の「子どもっぽさ」にサヨナラするには

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「子供っぽい大人」たちが増えている?

いつまでも「子ども」ではいられないのに

一人前の「大人のこころ」というものがあるとしたら、どんな風に育まれるのだろう。

「儀式」を通して育まれるとしたら、日本にそういう儀式はあるだろうか。江戸時代には15歳になると、武士の子は元服という儀式があって、チョンマゲを結い、幼名を改め、その日以降、大人として「いくさ」に参加できるようになり、そのようにあつかわれるという仕来たりがあった。さしずめ今は、「覚悟」も「人間的成長」も期待されない、名ばかりの「成人式」といったところかなあ。なんとなく「屁のツッパリはいらんです。」(byキン肉マン卓)という言葉を思い出した。

大人になるのに欠かせない「儀式」

ネイティブアメリカンであるインディアンの風習には、大人になるため、たった一人でやり遂げなければいけない「ビジョン・クエスト」という儀式がある。周りにいる人たちに相談するのはいい。でも、当然ながら、あなたと意見が一致するということはありえない。それはそれでいい。その中で、自分らしい方法を模索していく。たとえ、意見が一致しなくても、あなたの「安全」と「健康」と「成長」を望んでいない意見は一つもないので、「敬意」をはらってありがたく拝聴するという姿勢を忘れないそうだ。

また、周囲の人はあなたの代わりをしてくれることは一切ありえません。彼らは、他人の人生の宿題を代わりにやってはいけないということを知っていて、それを乗り越えないと、自他ともに、彼が大人として、認められないことを知っているからです。

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本人は、儀式の行われた場所に「子供らしさ」をおいてくるという。同時に、両親は「あなたに対する親らしさ」を儀式の場所に送り、そこに残していくといいます。儀式は本人だけだなく、周囲の人たちにとっても意識変革の刻なのだそうです。

「死」を意識して生きる。

生きること。支え合うこと。そして、サヨナラすることを意識して生きる。

儀式には、「子供の自分」にさよならする時、自分の死というものを練習する効果があるといいます。たった一人で儀式に臨むので、その時は、これまでの人生で関係のあった人たちに一度、お別れをして出かけなくてはいけないそうです。もう二度とみんなに会えないとしたら、一人一人に何を今、伝えるかを考える。

自分の人生の見直しと、これからの生き方を考える経験。死は誰にでも訪れるという意識の練習。死んでいくひとは、誰でもこういうことをしなくてはならないという事実をみつめる瞬間が生じます。こんな風に、「死」を意識することで「子供っぽさ」を手放す効果が促されるのでしょうか。

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まとめ

近年、日本人が外国に比べて、子供っぽい大人が増えていると感じる人は多い。先進国では18歳選挙権が常識なのに、日本では最近話題になり始めたところですし、未婚率や晩婚化率の上昇などなど。

さて、日本的に大人になる儀式のようなものがあればいいのですが、なにぶん、怪しい宗教的なものも多くあるので実際やってみるのは危険かなと。

ならば、個人的に成長する糧としてはどうするか。「可愛い子には旅をさせろ」の実践など、月並みですが「一人旅」で経験を積み、「読書」で知識を得、「信頼できる仲間」と分かち合う。持論ですが「リスクを恐れずチャレンジする」、「安全、安心の逆をいく」、「ワイルド(野生的)であれ」なんかがいい、と感じますね。

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これからは、個人が個々に成長していく個性的な時代。「子供っぽい(幼稚な)大人」は、生き残れないんだろな。・・・ (内容が、ちょっと偉そうになっちまいました。とりあえず「大人っぽく」書いてみた。)

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