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習慣力

退職後、自分の居場所ってどこ

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夢にまで見た定年退職後の生活なのに

やっと、ゆっくりとのんびり生活できる。朝はいつまで寝ててもいい。毎朝、決まった時間に会社に行かなくてもいい。ノルマもない。人間関係のストレスもない。サラリーマン時代からは、夢のような生活。・・・半年くらいは。しかし、そんな生活がつづくと困ったことになるらしいです。

行くところがない

公園へウォーキング

早朝、歩いて健康維持。女性は楽しそうにテレビの話、近所の話をしながら歩いていますが、男性は地味な格好で黙々と歩いている方が多いですね。たまに女性一人に男性3人のグループで歩いてても喋るのは女性一人ってパターンですね。

スーパーのベンチに集合

特に男性は、どうもいくところに困るようですね。大型ショッピングモールの休憩所に朝早くから出勤。同じような人で休憩所が満員に。年配の男性たちは、何が入っているのか解らないカバンを片手に、同じような格好して、集まってきます。そして、会話をするでもなく、ただただ座る。まるで座禅をする修行僧の様に見えます。近くづくと加齢臭が充満してたりしますので要注意です。

図書館で過ごす

館入り口の新聞コーナーは指定席。

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やることがない

じっとしてると居場所がないので、とりあえず意味もなく、出かけるんだけど、やることが無く、生きている実感がないって勿体無いですよ。水は動かないと腐るんですね。人もほとんど水で出来ているから結構あぶない。

そして通院・入院

通院がコミュニケーションの場になってくる。やがて高齢者病棟へ入院。こんなはずじゃなかったなんて。ちょっと余談ですが、薬神話というのでしょうか。「薬は飲み続けないといけない」と信じている方々がやっぱり多い。確かに急患には有効だとは思いますが、最近は、薬の多剤処方や、一生飲み続けることについて問題視されたりしているようです。「薬剤師は薬を飲まない。宇田川久美子著」という本が出て薬の問題を取り上げていますね。その本では東洋医学を推奨しています。

 

出来ることで仕事しよう

50歳代というのは、定年退職の秒読み段階ですね。今の仕事を続けてしたい、あるいは出来る場合は、再雇用やアルバイト等の方法がありますね。その他の場合は、準備しましょう。趣味や仲間を充実させるとか、短時間アルバイト、ボランティアの場を探すとか。

新規一転、思い切ってしたい仕事にチャレンジするのもアリだと思います。たとえば、鍼灸師の学校へ行き、資格を所得して開業することも可能ですし、歴史を勉強して旅行をするのもあり、なんでもありだと思います。

 

自分の得意なこと。強み。やりたいこと。身体的、家庭的な条件を整理して、「ほんのちょっとの勇気と元気があれば、何でもできる」と思いますね。(ちょっと猪木っぽくなりました)

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まとめ

人生80年のひまつぶし。と言う人もいます。どうせ暇つぶしなら、毎日ワクワクしながら、楽しく、美味しく、緩やかにで、充実した日々を最後まで過ごしたいですね。時の流れは平等ですから。

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習慣力

命と食物

食物と文化

カレーをつくった鍋の横で、フライパンで麻婆豆腐をつくった。ちょっと違和感を感じた。インドの食文化と中国文化が、我が家の台所で同居している。日本の家庭ではありふれた風景かもしれないけど、ちょっと考えてみると、なんとも大きな世界的な風景に感じてしまった。

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命が食物

考えてみるとスーパーマーケットは、どこにでもある便利な食材庫なんだね。同時に、人に生命をあたえてくれる生き物のたちの命の陳列台にも見える。ちょっと見方を変えてみると、全く違うものに感じてしまうから不思議です。

 

毎日、日本では、大量に破棄される食材たち。また、保存料、着色料など本当に必要なのかわかんない数々の薬。自由がいいんだけど。自由がまかり通りすぎる風潮で怖い。

 

たしかに捨てるのも自由なのかもしれないけど。もったいないお話というより。命を投げ出してくれた生き物たちに申し訳ないお話に感じてしまいました。

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心の健康 習慣力

学校の勉強って無駄じゃないんですか

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なんで勉強せなあかんの?

学校の勉強って役に立つの?

学校の勉強って役に立つの?って、子どもに聞かれた事ありませんか。ぼくも子どもの頃、何度も思ったことありました。覚えているのは、小学生のころ、算数の食塩水が出てくる問題で解かんないとき、中学では、中間・期末のテスト前で時間に余裕のないときに、特に思いました。

高校でも、やっぱりで、微分・積分ってなに?、化学の記号、物理の公式なんかは、無駄じゃないの?って思ってました。結局、その頃には、答えは見つからずで「無駄だろうけど、仕方ないなあ」って感じでしたね。

ほぼ、役にたたないのも本当

専門職の仕事に就かない限り、ほとんど不要なものばかり、というのも事実ですね。だから普通科の高校を卒業してから専門学校へ行くなんて事があるんでしょう。となると、普通科の高校は、存在意義がわからない。大学へ行かないと決めてる人には、いらない気がします。

これからは中学卒業したら、社会へでるか、専門学校というふうになってくるかもしれない。もしかしたら、中卒後5年通う高等専門学校系が流行ってくるのかもしれないですね。高校と専門学校のハイブリッド感があります。

「いい学校」・「学ぶといいこと」

まだまだ、勉強して、いい学校、いい大学、いい会社へ入って人生安泰っていう神話が根強い風潮がありますね。お受験対策の塾や予備校が人気ですね。いろんな専門職に付くには資格が必要ですから勉強は必要だと思いますが。一流を目指す人の気持ちというのは、どんな感じなんでしょうか。

 

劣等感を何とかしたい

劣等感の克服の手段。優越感に浸るため。一流レベル感を得る。という事かもしれません。難関資格を目指すというのもその傾向があるのかもしれませんね。

 

ちょっと不思議なんですが、新聞で東大卒でも劣等感をお持ちの方の記事をみましたよ。私のような凡人には、「その気持ちは、なんなんだ」と思わざるを得ません。恐るべし「劣等感の根の深さ」といったところでしょうか。

 

私事ですが、難関資格を目指した事があったんですが、200点満点中40点台という成績でお話しにならなかったんですね。これから何年かかっても目指すのか考えたんです。いつか合格したとして、「その時どんな気持ちか」考えたんですね。

そしたら、自分の答えは「その仕事好きじゃないかも。難しそうだし、やりたくないじゃん。」だったんです。つまり「合格する事だけ」が目的だったんですね。優越感を獲得したかったんですね。なので、アホらしくなって目指すのやめてしまいした。やりたくない仕事は苦痛ですからね・・・気付いてよかった。めでたし、めでたし。

「学ぶといいこと」ってなあに

小・中学校は義務教育。つまりは学ぶ基礎(土台)をつくるということ。学校の始まりって寺子屋だったんですよね。学ぶ内容は、読み、書き、そろばん。その頃は、それで十分だったんですね。現代は、嫌になるほど、たくさん学びます。そこで学ぶ意味ってなんだろうって考えてみました。

知っているか・知らないかで大違い

歴史の上での失敗や、出来事をしっていると、同じ間違いを避けることが出来きますね。専門技術なんかは応用できます。昔からの知恵も使えるので教えてもらえると便利ですね。

自分で調べるときなんかは、少しでも知っていると、わからないところがあっても調べやすいです。ぜんぜん知らないと、まず何から調べるのかも、わからないし、とっても時間がかかってしまいます。

解っているか・解っていないか。

今、わかっていると、次どうするか予想できます。解っていないと、まったく動けないです。

出来るか・できないかは、やってみないとわからない。

あることは、練習したら出来るようになるかもしれないですが、いくら練習しても、出来るようにならないかもしれないってこともあります。本で学んだことも、実際、自分で実験するとわかりやすいですもんね。

得意か・苦手か。好きか・嫌いか。

何かを、何度かやってみると、自分が向いているか、向いていないかが、少しはわかてきます。それから、好きか、嫌いかもわかってきます。大人になって、自分の仕事を選ぶときにも参考になりますね。

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仕事に必要なことは仕事場で学ぶのがいい

仕事で必要なこと、専門的なことは、やっぱり実践が一番です。学校で習った基本は、実践では、ほとんど、そのままでは役に立たない。「教科書と現場は何もかもが違う」ということを実感した方も多いのではないでしょうか。実際の現場が、最高の学習なんでね。

私も、社会に出て働き始めた途端、「学校でもっと深く濃く勉強してたらよかったわ」なんて思いました。

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まとめ

自分が小・中学生のときに感じた疑問「なんで勉強せなあかんの?」「学校の勉強って無駄が多いんじゃない?」ってことを今頃になって、やっと自分にとっての答らしきものが、出たような感じがします。

 

昔の人は、社会の発展のために、まずは、学校という制度と場所ををつくりました。そこでは、基本的な国語や算数のほか、戦争など、過去のあやまちを繰り返さないために歴史を学びます。それから、人々が一生かけた研究の成果を一瞬で学びます。いくつも学べる場所が学校なんですね。実は、学校って、見方によっては、お得感いっぱいなんですね。

 

そこで、子ども達は、集団で生きること、みんなで協力して出来ること、一人で出来ること、友達や仲間づくりを学びます。運動会、音楽会、臨海学校、社会見学、郊外学習とかイベントで思い出も作れます。マラソン大会なんて嫌なのもあったけど。

 

 

確かに、学校の勉強は「無駄」と感じるものが多いと思います。なので「無駄」と感じたものは、それは自分にとっては「余裕」(勉強してもいいけど、無理してしなくてもいいもの)と考えてみると、「無駄」という気持ちに、イライラしないで済むのかもしれませんね。

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余談ですが、社会へ出てからは、学校がないので自分で学ぶしかありません。いるもの、いらないもの、本物、にせ物、まがい物とかを見分ける力が必要です。そんな『「知恵」と「勇気」と「考える力」を育てる学校』があってもいいんじゃないかなって思います。

 

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習慣力

長生きほど尊敬される社会がいいね

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長生きほど尊敬される社会では長寿が多い

長生きするほど尊敬されるお坊さんの社会では、長寿のひとが多いらしいんですね。例えば、「長老」と呼ばれ尊敬される人が存在する社会。ネイティブ・アメリカンの社会もそんな感じで長老を尊敬していますね。

長生きしても、迷惑がられる社会だと、短命になったり、認知症になったりしないと耐えれれないのかもしれないです。ほかに楽になる方法があればいいんだけど。長生きすればするほど、お邪魔虫扱いされるって、ちょっと貧しい社会かもしんないです。

 

出来ない事ばかりでも尊敬される人って、どんな人

実際問題。自分の人生の最終章で、なにができるんだろう。賞味期限切れの食材のように破棄されてしまうのか。それとも歳をとるほど尊敬されるのか。分かれ道のようですね。

 

20年以上前、96歳で亡くなった、おばあちゃんは何してたっけ?覚えているのは「笑顔」と口癖のような「ありがとう」っていう言葉。今思うと、自分で何にも出来なくなったときにも、唯一できる「感謝」の行動なんだよね。それを精一杯やっていたような気がする。

 

それと痛みに対する「がまん」。火葬場で灰になったおばあちゃんの太ももの骨のあたりに、太い針金(もはや鉄筋に近いような40cmくらい)の棒が4本あって、それは骨折した足を固定するため晩年の手術でいれたもの。あんなに太い鉄の棒を、4本も足に入れてたなんて知らなくて、驚いてしまった。さぞかし痛かっただろうにと。

 

出来ない事ばかりでも、尊敬される人って言うのは、一言で言うと「与える人」「感謝される人」なのかもしれませんね。

まとめ

あなたの命はいつ終わるのでしょうか。みんな、いつか死ぬのはわかっているんだけど、それがあと1年とか、3ヶ月とかって思わないんですね。特別な状況でない限り「あした死ぬかも」なんて思わないんです。なんとなく、「ゆっくり歳をとって、いつか死ぬ」と思ってる。

 

家族が死ぬのも、自分が死ぬのもツライですよね。どっちもイヤ。でもいつかその状況はやってきます。どんなに覚悟していても、その時になって、ジタバタしない自信はないです。落ち込まない人はいないと思います。だから、毎日、命について考える時間をすこしだけ作ろうと思います。自分の命、食べ物の命、人々の命、地球の命、生きとし生けるものの命について。

それから、それから、喜ばれる人になって、みんなで一緒に「長老」と呼ばれましょうね。

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心の健康 習慣力

自分を「おだて」ましょう、どんどん「おだて」ましょう

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「もうダメだ」と思うか「まだ大丈夫」と思うか

どうするか結局、自分が決めている

不思議なもので「もうダメだよ」って思った途端に、ダメな状態になってしまうことってありませんか?「大丈夫、大丈夫、まだまだいける」と思っていると、やっていけてたりするんですよね。もしかしたら、将来、「自分を過信したほうが、いい結果がでちゃうの法則」なんてできるのかもしれません。結局どう思うか決めるのは自分なんですね。「まあいいっか」とあきらめるもアリだし、「俺は、すごいいんだ、と思うのもアリ」なので。

 

自分をおだてる

始めに思いがあって、体が反応してくれるということですね。なので、ダメだとおもったら熱まででてきたり、お腹が痛くなったりします。不登校の子どもさんによくあるパターンですね。ところが、大丈夫とか、余裕とか思っていると、体はちゃんと大丈夫になってくれるんですね。

これには、コツがあって、現在完了形で表現すると効くそうです。例えば熱が出て、下げたいときには「熱が下がった。よかった。」という感じだそうです。

なので「俺はすごいんだ。望み通り◯◯になっちゃった。よかった、よかった」と思い続けるとそうなっちゃう。ってことですね。ぜひ、一緒にやってみませんか。

 

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さらに効果的に「自分をおだてる」

さらに、思うだけではなくて、自分の声で言ってみるといいそうです。自分の声で自分の脳に言い聞かせるようにいってみると、もう一つパワーが乗るということらしいです。古来、日本では、言葉には力が宿ると言われていて「言霊」と呼ばれています。その言霊の力をお借りするという感じでしょうか。

 

西洋では、ポジティブ思考や、なりたい自分を自分の無意識にインプットするため、同じ言葉を何度も繰り返す「アファメーション」という手法があります。不思議なんですが、とてもよく似ていると思います。

まとめ

自分をおだてたっていいじゃないですか。日本人としては、気恥ずかしい、くすぐったい感じがする人が多いのかもしれませんが、そういうの「なし」で、もっと自分を「おだてて」、いい気分で人生を過ごしてみるのも「アリ」だと思います。「だめ、だめ」と思って生きるか「自分はすごい」と思って生きるかは、結局は自分しだい。自分の中の勝手な「思い込み」なんですから。

 

客観的にどう見えるかなんて、気にしない、気にしない。はた迷惑や、不快な行為になっていなければいいと思います。どんどん自分をおだてて生きましょうコツは、現在完了形で、声を出して言う。たったこれだけなんですから。

(参考:「禅と脳」 玄侑宗久・有田秀穂)

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心の健康

挫折したって、いいんです。

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挫折したことあります。いっぱいあります。

恥ずかしながら、私の人生、挫折の連続で、なかなか前に進めない性格なんですね。「勝ち組の男は、人生で3度挫折する」なんて本があったけど、挫折しすぎの自尊心は、超低空飛行で、あぶないんですよ。

 

幼少のころ、自転車に乗れない。5歳で初挑戦。すぐに乗れると思ってたのに乗れないので、しばらくチャレンジしなくて、ひねくれて、ローラースケートでいいやって。自転車は避けてましたね。屈辱の日々でした。それから、片側補助輪付きの自転車には乗れてたんですが、小3でバカにされて再チャレンジ。やっと補助輪を外せたという感じでした。

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次に、小学校高学年。自転車に乗れたので運動量がへり、肥満児になってしまった。肥満児としての劣等感の日々をモンモンと過ごしてて、「こんなに太って家族は嫌だろうな」って思ってたんですね」。なんでだかわかんないんですけど、今思うと考え方がかなり歪んでる。当時、学校行事であった肥満児体操に強制入隊させられたが、背が伸びて、かろうじて除隊でした。

 

高校時代のクラブ活動。場の雰囲気で、体育会系熱血クラブに所属するも1年半で退部。性分にあっていなかったと後々気づきました。「走るのは好き」だったんだけどなあ、「バレーボールは好き」だったんだけど低身長(159cm)であきらめた。それが、なんで格闘系にはいったんだろう?いまでも意味わからないですね。

 

その部は、猛練習で、取り組み方が半端なかったこともあって、辞めた時に、挫折感が強烈に残ってしまったんですね。その後、約30年余りの間、劣等感を引きずり続けたんです。「自分だけが出来ない」とか、「なさけない」とか、仲間からの「疎外感」とか。周りは、ぜんぜん気にしてないってことには、全く気づかなかったですね。自意識過剰な時期。・・・今から思うと「ほんと、バカみたい。もったいない時間」でした。

 

就職についても、学校の雰囲気に流されて公務員を目指してしまった。試験全敗状態で就職浪人が確定する。またまた劣等感を募らせる。やっぱり、バカなのか?食べれない。62kgから、体重が11kg落ちた。1年後、10箇所中、1つだけ受かって、辛うじて就職。やっと、社会人デビューとなったのでした。

 

挫折はしても、後悔はしないのがいい。

妻に聞いてみたら「わたし挫折ってしたことないのよねえ」と言われた。「だって挫折って、何かを目指して、一生懸命努力して、頑張って、頑張ってそれでも、出来なかったってことでしょう?、わたし、そんなに何かを必死で目指したことないもの。」だって。

そういえば、彼女の動物占いはチーター。一言でいえば、「諦めの早いチャレンジャーだった。」挫折とは、性格的に無縁なのかもしれない。大抵の人は挫折したことがあるって思ってた。意外だった。地震喪失。自己嫌悪。自己肯定感の欠如。それって「後悔」なのかもしれないなって思いました。「挫折を後悔しない性格。」なんと、うらやましい。

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挫折ってなんだろう。

国語辞典(三省堂)「事故やじゃまにあって、途中でくじけてダメになること。」ーー感を味わう。

 

大辞林(小学館)「仕事や、計画などが中途で失敗し、ダメになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。資金不足で事業がーーする。ーー感。」

挫折って「途中でくじけたり、失敗してダメになること」、「意欲・気力をなくすこと」だったんですね。言葉でみると、単純でリアルっすね。

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まとめ(挫折の7つの方法)

単純に「途中でくじけても、ダメにならない方法」とか、「意欲・気力がなくならない方法」とかを考えて、実行すれば挫折とは言わない。ってことなんですね。挫折しても後悔しないための「その1」から「その7」まで、まとめてみました。

 

その1、期間限定でやってみる。ダメだったら、ドンドン次へいく。

その2、意欲・気力がわくような、ワクワク、ゾクゾクするものを見つけだす。

その3、意欲・気力がなくなった時、傷ついた野獣のように、じっとしてエネルギーを貯める。

その4、諦めるか、忘れるか、納得するところまで、とことん、しっかり落ち込む。

その5、それは、「自分に向いてなかっただけ」と言う。

その6、折れた骨をつなぐように、心を繋ぐため、誰かの前で自分を笑い飛ばす。

(相手選びは慎重に、黙って聞いてくれる人がいいですね。)

その7、「楽になる考え方」を見つけだし、思い出す毎に、「記憶を書き換える」

 

 

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ビジネス 本紹介・感想

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こども・不登校 習慣力

不登校児。家出なのかと、捜索願いを出したら

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プチ家出の予感

不登校児のK君は、土日など、学校がお休みの日は、いつも朝から元気に遊びにいくのであった。平日も、学校帰りに友達が誘いにきてくれると遊びにいくという感じ。

 

ある日曜日は、朝8時30頃に遊びにいった。休日に友達と遊ぶときは昼食にも家に帰らないとか。6時の門限に遅れることが多かった。ゲームセンターにいると、熱中して時間を忘れるらしい。プチ浦島太郎状態になるようだ。ゲームは「釣り」とか「射撃」をするらしい、鯛やヒラメの舞い踊りでもあるまいに。

 

生活習慣の乱れを整えるために不登校改善プログラムをやっていて、まず、朝は7時30分までにリビングにくるようにするという単純なことから。その矢先、彼は、昨夜眠れないっていって家の中をウロウロ、大幅に就寝時間が遅れて、就寝時間22時が、0時ごろまで起きていた。なので、早く寝なさいと、こっぴどく叱られた。そのあと1時頃には寝たんだけど。ちょっと叱りすぎた感じがあったのが気がかりだったのね。

 

本日、K君は18時になっても帰ってこなかった。これは、よくあることなので、少し待ってみた。19時になっても帰ってこなかった。どうしたものかと思い、いそうな場所を探しにいった、友達の家へ電話をしても見つからない。若干、足取りはつかめたものの、18時ごろ家へ帰ったらしいということまで分かっただけだった。

 

この辺までは普通の対応なのだが、放浪癖のある彼は、以前に2度ほど10Kmほど離れた祖父母の家へ逃亡した経歴をもっている。一度はペニー(小型のスケボー)もう一度は自転車だった。今回は、歩いて行ったのかな、と思い自転車で追いかけて捜すことにした。

捜索願いを出す。

捜索が遅れて、後悔するのも嫌だったので、念のために「捜索願い」というものを地元の警察署にお願いした。早速、家に婦人警官さんが来てくれて、背格好、人相などを聞いてくれて「家の近所を探してみます」という対応をしてもらえることになった。

 

さて、幅の広い国道の歩道を歩いている子供を見つけるには、自転車は正解だった。バイクだと歩行者と同じルートを通らない。また、逆向きの歩道を歩いていたら、速度が速すぎて見落としてしまう。自転車は正解だったが、何分、夜で視界が悪い。ゆっくりと2時間くらいかかって実家に到着した。来てない。ということだった。親父さんから「K君、帰ってきても、怒ったらあかんで。」といわれた。

 

しばらくして、妻から連絡があった。次に思いつくのは、実家近くの彼のいとこの家だった。最近楽しく遊んでもらったから、もしかしたらと思った。自転車で向かってみるが、場所をよく覚えていなくて道に迷ってしまった。自分の「間抜けさ」と「方向音痴」が情けなかった。そこで携帯電話に妻から連絡が入る。「K君がいなくなってから、3時間くらい経つので全国手配するから、彼の写真をもって◯◯◯本署まで来て欲しいと警察から連絡があった」ということだった。

 

全国手配?と思いつつ、北朝鮮の工作部隊に拉致された可能性はあるかもしれない、だけど誘拐はないな。と妙に落ち着いて思った。誘拐はそれなりに裕福な家の子しか狙われないだろうからと。

 

その時不思議と、今朝の彼との会話を思い出してた。「昼には帰ってこいよ」といったら、K君は「わかってるから」と、ふてくされた口調で言い返した。もしかしたら、あれが最後の言葉になるかもしれない。そう思うと情けなくなった。「もっと違う言い方もあったのになあ」と思った。

 

実家から自宅に帰る途中、再度、携帯電話がなった。30分ほど前に自宅近くで、K君を見たという、ご近所の人とお隣のご主人の目撃情報だった。この情報のおかげで、K君の全国手配は不要になった。と同時に、もう見つかったかのような安堵感があった。「今ね警察の人がね、近所を歩いて探してくれてるねん」という妻からの連絡だった。ほっとした。これで北朝鮮とか交通事故の可能性は無いと思った。

 

約40分後、自宅に帰ってきて、びっくり。警察官の方々の数の多さに驚いた。自宅だけで6〜7人もいる。物々しかった。テレビで見る現場のようだった。K君は、まだ帰ってきていない。なんでも、一度、家の周りで見つかったが、スキをみて、再度逃亡したらしい。警官の方々は、コンビニや飲食店を回ろうと打ち合わせしていた。しばらくして、パトカーが「本人をキャッチした」と警察無線で連絡が入った。『・・・キャッチっていうんですね』

本人発見

K君本人には、なかなか会わせてもらえなかった。警察内でもいろいろと処理があるらしく、断片的に警察無線の会話から聞こえてきたのは、警察内部の児童保護をする部署と、状況を確認して、親に引き渡していいものかどうか判断してる様子だった。最終確認で現場対応してくれている警察の方々のボスが、K君を親に引き渡していい。という判断を受けている様子だった。そして本人が現れた。彼が家の近所まで帰ってきたものの、なかなか家へ入ろうとしないという行動から、虐待の可能性をチェックされていたのだろうか。23時前だった。

 

K君が現れる少し前、現場のボスから、「おとうさん。怒ったらあかんで、わしも同じくらいの子どもいてるねん。怒ったら逆効果やから。」と再三にわたって注意をうけた。

 

本人は、驚くほど「ケロッ」としていた。ほっとした。自分も、怒る気持ちは起きなかった。本人は、「ホームレスの気持ちがわかったわ」と言っていた。「どうして?」と聞くと「寝る場所探すの大変やったもん。」ということらしい。どうも、本気で家に帰らないと思っていたらしい。冬なのに。2月なのに。外で寝たらどうなると思ってたんやろ。「そんなに怒られるのが嫌やったんやなあ」ということを知った。

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警察の方々が解散したあと、入れ違いに、妻のお義姉さん一家が3人で来てくれた。K君が、悪びれることもなく、ヒョウヒョウとしてるような様子を見て、「今回、自分のしたことの意味が、わかっているのか。自分のわがまま、気まぐれで、沢山の大人達に迷惑をかけたことを、わかっておかないといけない。」ということを子どもにも分かる言葉でいってくれていた。ありがたい話であった。「私がもう10歳若かったら、顔が腫れるまでシバイてるところや。」「愛のある暴力はええねん」とも言っていた。

まとめ

いっときに、大勢の人が関わってくれて助けて頂いてありがたいです。しかしながら、いっときに関わってくれる人たちが個別に言うような「単純明快な答えはあるのだろうか」と思う。今回の案件でm表面化したK君の「悩みの根っこ」の話を、誰も聴いてあげていなかった。「怒らないのがいい」とは思わない。「愛ある暴力ならいい」とも思わない。私自身、彼の「悩みの根っこ」は、まだ見えていないと思っている。何か違うぞと、違和感をつよく感じているところなんだ。一日経った時点で思うのは、お互いに、少し落ち着いてから、彼の「悩みの根っこ」の話をしてくれるタイミングを待って、じっくり聴いてあげようと思ったんだ。

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こども・不登校

不登校の彼に親として出来ることって何だろう

気がつけば不登校。

小学校5年のころ

担任の先生が、様子を見に毎日来てくれてた。

時には、カードゲームで一緒に遊んでくれたりした。

一時間目から行けない時は、3時間目からいくとか。してたね。

クラスで、いじめられている訳でもなさそう。

それから、思春期特有の起律性障害という病気で朝が起きられないのでもなさそう。

特別、学校が嫌いでもなさそう。

放課後に遊びに来てくれた友達と、楽しそうに遊びに出かけていく。

明日の連絡メモをもらって、宿題をやったりして、準備をすんだけど、朝になったら起れない。なんとなく学校に行けないって感じに見える。

6年生でも不登校は続く

「家にいるの」と「学校へ行くの」とどっちが楽しいと聞いたことがある。

「家にいるのが楽しい」というのかと思ったら、そうではないらしく、かといって、「学校が楽しい」というわけでもない。「学校へ行けたら、学校のほうが楽しい」と言葉ではいう。だが、実際の行動は、学校へいかない。やはり「学校がイヤ」といことなんだろうか。

しかし、1学期は半分、2学期も半分は、登校した。一学期当初の修学旅行は、楽しそうに参加した。2学期中旬の体育大会と音楽会も練習時期から登校し、本番も楽しそうに参加した。登校、不登校のきっかけは何なのか。単なるイベント行事が好きな「お祭りヤロウ」なのか。

学校に、続けて行くと行きやすい。続けて休むと休んじゃうっていうのは解るんだけど、登校・不登校のパターンが不思議で、見てると、どうも突然「エネルギー」が無くなるような感じなんだな。

それから、普段は、学校に行かなくても平気というのではないらしく、行きたいんだけど行けない、という気持ちらしいので、本人は、つらい状況なのだそう。いっそ学校に行かないほうが楽しい、というなら楽なんだろうけど。

 

もうすぐ卒業、それから・・・

このままの、状態では、中学生になったからといって、いきなり登校できるはずもなく、同じパターンになるのは、目に見えている状況。かといって、暴力的で力まかせに、「叱って、怒鳴って、しつけして、」という話では無い様に思う。

ただ、「ココイチバンの荒療治」が必要な時期であるのだろうかと思う。

 

まとめ

彼の人生は、まぎれももなく彼のもの。彼の人生の宿題は、誰がなんと言おうと彼が何とかしないといけない。親として出来ることは、何があるだろうかと思う。彼の代わりにできることは、ほぼ無い。直接は何にもできないんだなあ、と気づく。

 

彼には、将来、彼が選ぶ道が狭くなっていくことを伝えること。今のままだと、だんだんと選択肢が減っていくということ。大好きなラーメン屋さんになるには、仕入れ、準備、仕込みがあるので、早起きが必要だということ。今、できるようにならないと、大人になったからといって、早起きが出来るようにはならないということ。それらを、そばにいて、寄り添って伝えつづけること。彼が、いつ気づくか分からない。けど忍耐強く、積極的に関わっていく、ということくらいしかできねんだよなあ、と思ったんだ。

 

 

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ビジネス 本紹介・感想

【書評】二代目になると自分で決めて産まれてきました 意識と覚悟の「愛の経営」

【書評】「二代目になると、自分で決めて産まれてきました」意識と覚悟の「愛の経営」  小澤勝也

プロローグ・目次より

みんな、申し訳ない。この会社は、このままだと本当にダメになる。

でも、もうこれ以上、どうしたらいいのか、わからない・・・・。

今までのやり方が間違っていた。どうか許してほしい・・・・。

みなさん、助けてください。お願いします。!

第一章 ヒトの章

第二章 モノ・コトの章

第三章 カネの章

第四章 愛の章

ヒトへの信頼

26歳で、いきなり二代目社長になった若造がぶつかる人間関係の壁。社員に負けてたまるか、なめられてたまるか。社員は「戦う相手」、社員は社長の「駒」だという考えでは、会社内で上司からケンカをしかけているようなものですね。行き詰まるのも必至。まず、会社ありきではない。会社は「ヒト」なんだ、社員は「仲間」なんだと気付いてから、経営が安定していったといいます。

・・・ここで、ちょっと、「出来る」くんはそれでもいいと思うんだけど、「出来ないくん」とか、「サボるくん」とかいるじゃないですか。具体的にどうしていったのかなって思いますよね。

その秘密は、チームでサポートしあうとか、効率至上主義をめざさないとか、業績は右肩あがりばかりだと不自然でしょ。っていいきれる社長の考えが太っ腹で個性的だと感じますね。まさに社員を「信頼」しているというところがカギなんでしょうか。

 

面白いのは、工場のパートさんが会社管理の「シフト制」で働くのではなく、「自己申告融通性」という形で、ライフサイクルにあわせた自己申告で出勤・遅刻・早退を工場ごとに管理してるところですね。長く働くには、融通が利かないと働きにくいですから。おまかせしてたら、自然にそうなったといいます。これも信頼というところが「根っこ」にあるんだなと感じた制度です。

 

・・・地方や田舎の職場で、個人的に配慮したシフト制をくんだりしてますが、よくにてますね、しかし会社が全く管理してないって、どれだけパートさんの自己管理能力や責任感が強いのかと思います。社長も勇気ありすぎでしょ。

 

 採用に関する独自の視点

いくら能力が高くても、職場の空気に馴染めなかったら、好きになれなかったら、長続きしない。社員さんは、家族も同然。家族になるのに能力は関係ないからって。ご縁を大切にするという社長の人柄を感じます。定年は一応ルールで決めてはいるけど、本人が希望して、周りがみとめれば、70歳でも働いている人がいるそうです。社員は、家族という感覚なら自然な対応ですね。

 

営業会議。別名「吊るし上げ会議」は、時間の無駄。

中小企業では、会議の準備や資料の作成など、毎日顔を合わす同士で聞き合えば事足りるでしょ。大企業で滅多にあわない専門家同士なら話はべつだけど。まさにそうですね。バカみたいにカッコつけて、かしこまって、さも仕事をしてるかのような会議は無駄だという姿勢は、お見事ですね。なので会議はないそうです。

 

しかしながら、リアルタイムのライブ感のある連絡、報告、調整をこまめにしてるとのこと。気心のしれた間であるからこその技かもしれませんが。会議第一主義って考えは、一体どこから来たのかなって考えてしまいました。

 

反省すれども、後悔はせずのメリット

起きてしまったトラブルの対処法として、やってしまいがちなのが「犯人探し」。じつはこの犯人探しは、問題の解決にはならないんですね。一人を見つけても、トラブルの発生原因に対して対処しないから、同じようなことが次々と起きる。

反省して、「どうしたらいいか」と視点を未来に向けることが大切なんだといいます。一人の問題はみんなの問題。そういう考え方・捉え方がむっちゃ前向きですよね。特に後悔しないって、ええなあ。「ちょっとお、凹んでる場合じゃないよ」って、「みんなのために、次どうしたらいいか考えなって。」 極論、後悔は時間の無駄ってことなのかな?

 

本当の営業効率ってなあに

営業効率を考えて、限られた時間内に出来るだけたくさんの取引先を回れるように、地区別、地域別の担当エリアを決めていたのをやめちゃった。

営業効率をヒトありきで考えたとき、ヒト同士の相性というものがあるので、目に見えない効果がでるのではないか。行きやすいところへ自由に行き先を決めてもらう方法をとってみたそうです。そうすると、ちゃんと目に見える結果も経済効果として上がってくるから不思議ですということなんだけど、それを思いついた社長の頭が不思議でしたよ。

 

普遍的経営理念もいいけど、毎年変わる理念もいいでしょ

普遍的な理念って確かにあるのかもしれない。僕は、遠い遠いはるか彼方の目標のような気がします。だけど、まだまだ成長過程で、未熟な者にとっては、変化成長していくといったライブ感のあるものが自然のような気がします。なんとなくですが、その方が新鮮でしっくりくるんですね。

例えば、バレーボールでいうと、絶対的なエース・スパイカーがいて、絶対的に得点するとるというスタイルのチームがあるとして、また、変化、速攻、個人技、チーム技が豊富なチームがある。どちらが王道かといことは、決められないんですね。ヒトは成長する生き物ですから。ライブ感を大切に毎年変化、成長していくって、経営者にとっても、働くヒトにとってもおもしろいと思います。

まとめ

プロローグで、いきなりの自己開示。それもギブアップ宣言。この人大丈夫なの?というきもちで読み始めました。ところが読んでみると、内容は興味深いものがたくさんありました。 また、愛の経営を表現されている内容の所々に、斎藤一人さん、小林正観さんの名言がちりばめられています。社長自身が読書を推奨されていて、社内文庫があるのだそうですが、是非リストもみたいなあと思いました。社長の実践してる「愛の経営。」まだまだ、進化の途中らしいですよ。